偶然が重なり、私の大好きな『ぼけますから、よろしくお願いします。』(http://www.bokemasu.com)の信友直子監督にインタビューをさせていただくことになり、前編では私自身の悩みでもあるコンプレックスとの向き合い方や、信友さんの天職となったお仕事の原点、やりたいことの見つけ方などを伺いました。
後編では、乳がんやインドでの大事故といった出来事とどう向き合われたのか、そしてお母様の認知症や介護のこと、亡くなられた後のこと、信友さんご自身の今後の目標などについてお伺いしていますので、ぜひご一読ください。
信友直子
1961年広島県呉市生まれ。1984年東京大学文学部卒業。 1986年から映像制作に携わり、フジテレビ「NONFIX」や「ザ・ノンフィクション」で数多くのドキュメンタリー番組を手掛ける。 「NONFIX 青山世多加」で放送文化基金賞奨励賞、「ザ・ノンフィクション おっぱいと東京タワー~私の乳がん日記」でニューヨークフェスティバル銀賞・ギャラクシー賞奨励賞を受賞。 他に、北朝鮮拉致問題・ひきこもり・若年認知症・ネットカフェ難民などの社会的なテーマから、アキバ系や草食男子などの生態という現代社会の一面を切り取ってきた。「ぼけますから、よろしくお願いします。」が劇場公開映画初監督作品。
99%の確率で死んでいたインドでの列車事故と、それからの生き方
――仕事での挫折や失敗はありましたか?
信友 あんまり。あったとしても忘れるのかな、失敗したこと……。こんなこと言ったらすごい自信過剰な人に思われてしまうかもしれないけど、作った番組でこれは面白くなかったなって思うものってあんまりないんだよね。面白いと信じて作っているしね。で、その頃は予算がふんだんに使えたの。だから時間的な制約はあったけど、お金はいくらでも使えたし、何なら放送日も延ばせたから、妥協して、撮れてないけどこれでまとめましょうっていうことはあんまりなかったかな。
――プライベートで挫折や失敗はありましたか?
信友 凹んだ時はあったよ。例えば森永事件の時とか、インドで大事故にあった時とか、乳がんの時とか。そういうことがあると、その時はどうしようって思うけど、今思うとあの時も今の私を作っているファクターだと思うから。
私あまり前のこと覚えてないけど、いろんな人を羨みながら生きてたことだけは確かなのよ。まだギリギリ子どもが産める時期だったし、仕事は楽しかったから後悔はないけどやっぱり結婚して子供を産んだ友達の方が圧倒的に多いから、私は人の道に外れてるんじゃないかとか、子供を産んでなくて親に悪いとか。
そうね、やっぱり他人の人生を羨んだりとか、これでよかったんだろうかって思っていたりしたことはあって。なんか、本当は子どもが欲しかったのにとか……。
うーん、子どもが欲しかったのかな?なんか子ども作らなきゃいけないと思ってたのかな。本当に欲しかったら私の性格だから多分相手見つけて産んでいると思うんだけど、そこまでの欲求はなかったんだと思うんですよ。でも、人並みではないというコンプレックスで苦しめられてたけど、事故に遭って、99%死んでた事故だったのに生きて半身不随にもならなくて元の状態に戻れた。1%の確率だったのに戻れたっていうので、やっぱり神様に感謝したし、もうここから先は余生だと思った。この後の人生は人のために使おうってちょっと思ったんだよね。その時に思ったことがすぐに反映された訳じゃないけど、10年くらい経ってこうやって『ぼけますから、よろしくお願いします。』を持っていろんなところに行って、いろんな人に「救われました」って言っていただけて、あの時の思いが反映されているのかなと思ったりもします。
――どれだけ辛いことがあってもそれに意味を見出していらっしゃいますよね。
信友 意味を見出さないとやっていられないというか、自分のために。母の認知症もそうです。認知症なのはもうしょうがないことだから、それをいかに少しでも楽しく捉えられるか。
結局自分が凹んだら自分が損だし、なんか、やっぱり人生楽しんだもん勝ちだから、物の考え方で楽しくするしかないじゃん。私の今の状況って、母が生きている時が一番そうだったんだけど、母は認知症だ、父は90いくつだ、私は一人暮らしで会社にも勤めてないから身分も不安定で子供もいなくて旦那もいなくて。本当にそのファクターだけ並べたらめっちゃ不幸な人だと思うんだけど、私に会った人は不幸そうだなって思わないと思うのね。多分それは私がそれをマイナスと捉えていないからだと思うんですよ。だから物の考え方だと思うんですよね。
一人で走るよりお母さんと一緒に走った方が楽しいじゃろ?
――信友さんが高校生の頃、朝学校に遅刻しそうになった時、お母様が信友さんにつきあって一緒に走っていたというエピソードが大好きです。一緒に走る理由が「だって直子も、一人で走るよりお母さんと一緒に走った方が楽しいじゃろ?」という……。なんでも楽しむというのは、やはりお母様の影響でしょうか?
信友 そうだと思います。ほんと母の考え方を受け継いでいると思います。映画で見てもそうじゃない?私が乳がんですごく落ち込んでても楽しく、いつも以上にギャグをかましてきてたから。
――それで思わず笑顔になってしまうというか。
信友 そう。笑わざるを得ない。
悲劇を引きで見ること
――認知症によって暴言が出てしまうことがありますよね。そういう時、つい感情的になってしまうこともあると思うのですが、信友さんはカメラを持っていらっしゃるので、そういう状況の時に「引きで見られた」と本の中でおっしゃっていましたよね。
信友 私の場合は途中から撮っていたものが作品になって世に出るっていうオファーが来たのね。そこから意識が変わったと思います。
それまではカメラ持っていてもイライラしたりとかもあったと思うんだけど、表に出るとなると大体こっちがイラッとするってことはすごいものが撮れているんだよね。だからディレクターとしてはおいしいわけよ。思おうとしなくても「やった!」って思っちゃうから、それでかなり救われたと思いますね。
――カメラを持っていなくても引きで見るコツはありますか?
信友 介護もなんでもそうだけど、寄りすぎて見ちゃうとほんとに巻き込まれちゃうからちょっと引いて一回深呼吸するだけでも大分違うと思う。で、たまにはこう一緒に巻き込まれてグジャグジャになっている自分込みで引いてみて、そしたら結構「何なんだこれ」みたいな感じで見えるし、視点の置き方だと思う。
まさに喜劇王チャップリンの名言「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」ですね。
――家族であれば愛情が勝る時が多いと思うのですが、関係性がまだ浅い相手に対して温かく接するためにはどうすれば良いのでしょうか?
信友 逆に家族だからカっとなって、他人だから優しくできるっていうのはあるんじゃない?責任がないから。家に来ていたヘルパーさんとかもよく「自分の親にはこういう風にできない」って言ってたもの。やっぱり「なんでこんな風になったん」って思ってしまうから、親にはできないけど他人だからできるんだよねって。
――映画の中で、お父様がお母様に対して唯一声を張り上げるシーンがありました。とても印象的なシーンだったのですが、本の中で「あれは感情的に怒鳴っているのではなく、母のために叱っていたのだ」と気づいたとありましたね。母という人を諦めていないからだと。本を読んだ後、もう一度あのシーンを見て、込み上げるものがありました。
信友 あれもカメラを回していたから気がつけたんだよね。現場にいた時はもうほんと初めてだったのね、父があんなに怒ったのを見たのは。というか、小さい時からこの人は何をやっても怒らないと思っていたのに、怒ったと思って、すごいびっくりして。だからそのシーンでカメラがぶれてるんだけど、あれ多分撮ってなくて証拠が残ってなかったら、父がキレた、怖いしか残ってなかったと思うけど、映像に残っていたから何回も見返して初めて気付いたんだよね。母のためなんだなと思って。
――お父様が怒ったのはお母様のためだったということも、私だったら気づかずに通り過ぎてしまうと思います。本では、出来事に対して「それはこういうことだったのかもしれない」ということがたくさん書いてあって、すごいと思いました。
信友 映像を撮って見返してまとめて形にする。だから映像作品にした時にも考えたし、どうだったんだろうって。本を書く時にもすごく考えた。やっぱり映画を作る時って、あえて自分の言葉を入れてないんだよね。
「私は」っていうナレーションを入れてはいるけど、見てくださる人が親御さんとか自分の大事な人を思い返しながら、自分の親だと思ってみて欲しいと思ったから、間を空けて、なんか言いたいところでもあえて何も言わないで、想像してもらうように作ってるんだよね、映像の時は。なので、私も感じながら作ったっていうのはあるけど、あえて言語化していなかったから、本を書く時に初めてどういう言葉が一番最適なのかっていうのをすごい考えたの、理屈で。その時初めて分かったこともある。
後、映画にしてみなさんにお見せしてリアクションが返ってくるじゃない。あれがこう思ったとか、そういう話を聞くと、あ、こういう風に思ってくれるんだとかそういう打ち返しもあったから、人から学んだこともたくさんある。
介護は、親が命懸けでしてくれる最後の子育て
――本の中で「介護は、親が命懸けでしてくれる最後の子育て」という言葉がありました。あれはお客様からいただいた言葉で、一番心に残っていらっしゃると。私、先日祖父が亡くなってとても辛かったのですが、それを読んだ時に「最後までいろんなことを教えてくれたんだな、ありがとう」って思えたんです。その言葉があるだけで、すごく救われました。
信友 ありがとう。私もあの言葉をもらってすごく救われたから。だから私、母は最後まで全部見せてね、っていうつもりでいて、実際、全部見たなっていう気がするから。
――本の中で、神様がお母様を認知症にして「緩やかで諦めのつく死」を用意してくれたと書かれていらっしゃったのですが、それはお母様が亡くなられた今でもそう思われますか?
信友 そう思いますね。比較はできないけど、多分母が元気な時に急に亡くなっていたら気持ちの持っていきようがなくて凹んだままだったと思うけど、緩やかに降下していったから、すごいソフトランディングだった気がする。
コロナウイルス の影響で3月から7月までずっと呉にいたんですけど、その間に緩やかに悪くなって緩やかに亡くなったから。
――面会できるようになった6月に亡くなられたのですよね。
信友 そうそう6月1日に危篤になったからね。だからそれまで頑張って悪くならないようにしていたんだなと思ったらほんとにグッジョブって感じよ。ほんとに。考えうる限りの最適なタイミングでお別れができたなと思って。
大切な人の死をどう受け入れるか
――大切な人が亡くなられた時、やっぱりすごくショックを受けると思います。私自身、死に対する向き合い方がいまだに難しいというか分からないんです。信友さんは死とどう向き合ってどう受け入れていらっしゃいますか?
信友 自分でも不思議なんだけど、亡くなって泣きはしたけど、ものすごく思い出して辛くなったりとか、あるいは夢に出て来たりとか一回もないんだよね、実は。
例えばお骨拾う時とか、今から灰になりますっていう時は泣いたけど、いつまでも引きずっているってことがあんまりない。でも多分コロナウイルスでそれどころじゃないっていうのもあるかもしれない。そっちの悩みの方がどうしようっていうのがあって、だからあんまり母の喪失感で泣くとかいうのはないんだよね。逆に母がずっと1年8ヶ月入院してて、ずっと家に帰りたがっていたけど帰れなかったのね。ずっと母は家に帰りたいと思っていて「頑張って帰ろうね」って言ってたけど、ついに帰れなかった。
だけど、お骨になって帰って来た時になんかすごい良かったなって思って。なんかやっと帰れたねって。遺影の写真、見ました?
――はい。紫陽花が綺麗に咲いていて、素敵な笑顔でしたね。
信友 そうそう。あれがめっちゃ良い写真で。絶対この写真にしようと思ってたやつにして、ちょうど紫陽花の時期に亡くなって、なんかドラマみたいだよね。
――本当にそうですね。
信友 仏壇の写真があれだから、あんまり泣く気になれなくて。なんか笑っちゃうみたいな。
仏壇って座敷の全てが見渡せる場所にあるので、あそこの襖を開けていると母は、父と私がずっとチョロチョロしているのが見えるんだよね。だからすごく良い場所に居て、ずっと私たちのことが見える。
多分母は一番今までの中で良い時を過ごしてるんじゃないかなと思えるから。それで、逆にもうお盆だから49日終わったらお墓にっていう話もあったんだけど、父もそうすると一人になって寂しいだろうし、父も「もうちょっとおいとけや」って言うし、だから父が亡くなるまではそこにいてもらって、父が亡くなった時に一緒にお墓に入ってもらおうと思っています。
だから、なんかね。また三人暮らしになったと思ったんですよ。
コロナ禍で会えない日々、地域で支え合うということ
――コロナウイルスの影響で、田舎で一人暮らしをしている祖母となかなか会えないのが辛いです。そういう時に私たちにできること、心の持ち用とかでも良いのですが、何かありますか?
信友 私それは今悩み中で。できることならすぐにでも向かいたいんだけどね。
――できることは電話したり……。
信友 うん、電話するしかない。あと、父は黒電話にこだわっているから、声しか聞けないので、週に三回、迎えの車が来て、お医者さんに行ってもらうっていうのがあって、そうすると看護師さんとかがどんな感じか見てくれるから。
あと、昨日も友達に顔出してもらって。そしたら父がいそいそコーヒーを煎れて。そういう風に地域に見守られていますね。
――地域で温かい繋がりがあると良いですね。東京だと一人で家にいたら隣の人の状況とかあまり分からないです。孤独死とか耳にはしていたけれど、現状はとても深刻だなと思いました。
信友 特にコロナ禍で、介護サービスやデイサービスがなくなっていたりするじゃない。怖いから連れて行かないとか。だから弱っているお年寄りとかって結構多いと思うよ。精神的にも弱ってくるだろうし、鬱っぽくなったりとか。
介護と仕事、プライベートを両立させる働き方
――話は変わりますが、映画を観ていてすごく意外だったことがあって、信友さんはフリーランスとしてお仕事されているので働き方としては介護と両立しやすい印象があったのですが、実際は全然そんなことないというか、とても大変そうで……。介護と仕事やプライベートを両立させるためには、どういう働き方が理想だと思われますか?
信友 そうね。いやほんとね、よく言われるんですよ。別に東京に家族がいるわけじゃないし、一人なんだからフリーランスだし帰れば良いじゃんって言われるんだけど、一番大きかったのは、映画が流行る前だったから結構貧乏ディレクターで製作費とかもどんどん削られているからたくさん仕事しないと食べていけないんだよね、女一人でも。
だから一個仕事断っちゃうと「じゃあもうやらないのね」っていって次の仕事がこなくなっちゃうかもしれないとか、そう思うとやっぱり断れないのよね。介護サービスお願いする前はほんと辛かった。
――何回も東京と広島を行き来されていましたよね。
信友 そう多分5,6回は帰ったと思うけど、お金かかるからね。本当は毎月の様に帰ればよかったんだろうけど、毎月帰るには数十万かかるから。それは難しいし、ほんと介護サービス入ってから安心になった。プロの人が週に2回診てくれているんだから大丈夫だろうと思える様になった。
介護を受け入れ、社会と繋がる
――介護に抵抗がある方も多いと思うのですが、本を読んでカタカナだから抵抗があるのかとハッとしました。
信友 地域包括支援センターってなんだっていうね。
――よく分からないというだけで、実際は人と人なので人間関係さえ作ってしまえば介護への抵抗が少なくなるのだなと、お父様の変化を通じて思いました。
信友 そう、映像を撮っているからすごく分かりやすいんだけど介護サービスを利用する前と後で表情が全然違うんだよね。
何かあったらこの人に相談すれば良いんだっていう気持ちが芽生えただけでも気が楽になったんだと思う。私もすごく気が楽になったし。
――そうすると余裕が生まれて、お母様に対する接し方も変わりますよね。
信友 母も話し相手ができたしね。今までも、父は悪い人じゃないんだけど耳が遠いから母にとっては話をしても「はあ?はあ?」とか言われるし「もういいわ」とかなるんだよね。
私もその気持ちはすごい分かるの。私もイライラしてたから。だから、それで会話がなかった日もあったと思うんだよね。だけど、デイサービス行く様になって、行く前は童謡歌ったり絶対しないとか言ってたけど行ったら誰よりも楽しそうに歌もお遊戯もやってたから、そういう社会復帰をしたのはすごい良かったかなと思う。
――社会と繋がりを持つことは重要ですよね。
信友 半年くらい前かな。父がポツッと「わしは最近思うんじゃが、年寄りにとって社会参加っていうのは甘えることなんじゃのう」と言い出して、これ分かって来たんだなって。あれだけ突っ張ってたのに「可愛がられる年寄りになることが一番じゃの」とか言って。ここまで変わったかと思って。
自分で自分を撮りたい。
――最後に、今後やっていきたいことや目標があれば教えてください。
信友 過疎の所ほど、老老介護になったり一人で住んでいたりして、そういう悩みがあるんだよね。でも映画館では見れないから、映画の噂だけは聞いていて、実際に見てみたいって思ってくださる人たちがいて。そういう町や村のホールで上映をしたり、私が話をして「大丈夫だよ」っていうことを伝えて「救われた」と言ってもらえることが今まであったのね、2月までは。だから、その活動を続けていければ、ここから先は余生で人のために生きるってことができると思っていたし、父と母との共同作品でこれができるっていうのは何よりの親孝行なんだなって思っていたから、これで突っ走りましょうって考えてたんだけど……。そうじゃなくなってきたから、今ちょっと五里霧中ですね。
――今はオンラインのイベントが多いですよね。
信友 お年寄りでオンラインができない人が大体上映会に来てくださっていて。本当はそこに求めている人がいるから行きたいんだけどそれをどうするかだよね。オンラインにつながっていない人たちが一番望んでいるのにって。
後、将来のことで言えば、母も認知症だったし祖母も認知症だったの。
だからその血を引くと私も認知症になるかもっていう不安があって。アルツハイマーだったら怖いなと思っていたんだけど、つい先日この映画の編集をやっている人と約束をして、もし私が変になったら自分で自分を撮ると。
私が壊れていくのを撮って、最後の頃は自分では編集能力はなくなっているから、あなたに全部素材を渡すから編集してねって言ったら「わかった」って言ってたから。それを言ったら、怖いだけじゃなくてちょっと楽しみにもなってきたので。
多分それを今までやってきた人はいないし、何らかの役に立つと思うんだよね。誰かの役に立つことだと思うから、せっかくここまできたからその波にも乗ろうかなと思っています。
――ありがとうございました。信友さんのお話を通じて、自分で自分を縛り付けていた固定概念というか、呪いみたいなものが解けたような気がいたしました。そして『ぼけますから、よろしくお願いします。』は、認知症や介護だけでなく子育てやグリーフケアにも繋がる作品で、私にとってこれからもお守りにしたい作品です。本当にありがとうございました。
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また、DVDが11月27日にTCエンタテインメントより発売されます。
絶賛現在予約受付中なので「皆様よろしくお願いします。」
インタビュー・文責:大森愛美
プレイス:ベイカンシーオフィスゴタンダ